健康ブームのメッカ、米西海岸にも、すでに進出を遂げている―そして日本にも。
「年間売り上げ1億ドル」までは行きたい、とソフィアは思いました。
そのためには新しい工場も必要だし、商品のラインを広げることも必要になってきます。
それには、当然お金が必要。
「2万ドルでは足りないことには、最初の1年で気づいた」とコニーは言ったそうです。
それでも2人は、世のベンチャー・キャピタルに頼る気はありませんでした。
投資利益だけが目的の資本が入れば、必ずコカ・コーラあたりから宣伝や販売のプロを引き抜いてきて経営トップに据える。
「そうなったら品質第一の社風が損なわれてしまう」ことを恐れるからです。
ソーホー・ナチュラル・ソーダの成功以来、果汁入りソーダを発売する企業が続出、コカ・コーラやペプシ・コーラのものも含めて、今は十数種類が市場に出回っています。
だがソフィアもコニーも恐れていませんでした。
大企業は宣伝力で勝負をかけてくる、しかしこちらは味の勝負。
同じ土俵では争わないと決めているからです。
「宣伝力で商品を小売店の棚に並べることはできる。でも消費者が繰り返し買うようになるのは味を気にいった商品」だとコニーは言ったそうです。
「宣伝で棚は埋められても、空にすることはできない」のです。
入荷と同時にまとめ買いしていくような本当のファンをつけるには品質しかない。
この当然すぎるほど当然の信念で「宣伝の時代」に立ち向かっているのがソーホー・ナチュラル・ソーダなのです。
こういう商品だから、大手スーパーマーケットでは決して目立つ存在ではありません。
しかし健康食品店や高級店(健康志向の強さと懐具合は相当程度まで比例している)では異彩を放っています。
メイシーズやブルーミングデールといった有名百貨店、ヘルムズレイ・パレスやハイアット・リージェンシーなどの高級ホテルは、ソーホー・ナチュラル・ソーダの得意先です。
ソフィアもコニーも菜食主義者でした。
「だから味覚に敏感」なのだと言います。
肉食だと味覚がにぶるものなのかどうか、そのへんは専門家に教えてほしいものですが、たしかにソーホi・ナチュラル・ソーダの味は微妙だ。
天然果汁といってもオレンジやレモンライムだけではない。
ブラックチェリーあり、ラズベリーあり、なんと朝鮮人参まであるそうです。
そしてゼロカロリーのものも。
「健康」が彼女たちのCI(コーポレート・アイデンティティ)なのです。
だからこそ、「品質で勝負」を強調しました。
2人の読みは当たりました。
発売した78年の暮れまでに7万2000本を出荷。
以後は天井知らずの伸びを続けて、83年には200万本、84年には400万本、85年には800万本と倍々ゲームで増え続けました。
売り上げも1000万ドルを突破していました。
たしかに時代が味方していましたが、2人のチャレンジ精神が何といっても大きかったのです。
マーケティングにかけては世界有数のコカ・コーラとペプシ・コーラが君臨するソ7ドリンク業界に・たった2万ドルの資本で参入するなんて、なみの精神の持ち主には考えられません。
「もっと年輩でビジネス経験の豊かな人たちだったら、けっして私たちのようにはやらなかっただろう。大企業にアイデアを売るのが、せいぜいだったのでは」とコニーも言っていあたそうです。
あと何年かで知名度でも企業規模でもカナダ・ドライに追いつくのが、彼女たちの目標でした。
★アメリカン・ナチュラル・ビバレッジ社
ソーホーはニューヨーク市マンハッタンの先端的なアーチストが集まる地区です。
ヘルシーで時代の先端を行くソフトドリンクにはぴったりのネーミングでした。
ラベルとパッケージのデザインも明るくポップ調、レコードのジャケットを思わせます。
「ユニークでフレッシュな味には、同じくらいユニークでフレッシュな装いが必要だった」のです。
★アメリカン・ナチュラル・ビバレッジ社
ソフィアは、インディアンの居留地で生活するかと思えば、メキシコへ足を伸ばして帆船づくりに参加したり、アメリカへ戻ってくると一転して企業家に変身、ささやかながら建設会社を設立したりもしました。
実務のほうは別な建設会社を退職したベテランに手伝ってもらい、対外的には彼女は社長秘書ということにしました。
「入札や契約のときなど、まだ10代の女の子が社長だと名乗っても相手にされないから」でした。
ソフィアはそんな経験を自伝『70年代の少女の遍歴』にまとめ、20歳のときに出版しています。
その印税1万ドルが、ソフィアの企業家としての元手になりました。
彼女が1万ドル。
友人で3歳年長のコニー・ベストが1万ドル。
あわせて2万ドルで「ソーホー・ナチュラル・ソーダ」の製造販売に乗り出したのです。