もし社会に割ってはならぬ生活の単位というものが考えられているなら、それを割らねばやってゆけぬような状況が発生しても、当事者はもちろんのこと、はたの者がそれを割らせるようなことをしてはならない。
つまり、割らないように当事者も努力し、割らせないように社会もこれを保障しなけれぽなりません。
というのは、そういう単位をこわしてしまっては社会そのものの存立が危ぶまれるからです。
ところが、日本ではそうではありませんでした。
失業や事業の失敗、たびかさなる不幸でジリ貧になった老は、やがて冷たい世間の口にたえられずに一家心中をしたり、一家離散をしてしまいます。