二代目として建てられたこの建築は昭和二七年(一九五二)。
この手の駅舎としては比較的新しいが建設の際は工事費四〇四万円のうち、地元の美瑛町も一一三万円を負担してこの駅舎を作りあげたという。
農林業の町としては、商品を運ぶ鉄道の存在が大切だった頃の気合いの入った駅だったのである。
だから今でも、駅の裏側には大きな製材所が稼働している。
白樺林のなかの白金温泉は美瑛駅の南東約二十キロ。
その途中には北海道の代表的な風景でもあるうねうねと続く丘陵の畑が広がっている。
二代目として建てられたこの建築は昭和二七年(一九五二)。
この手の駅舎としては比較的新しいが建設の際は工事費四〇四万円のうち、地元の美瑛町も一一三万円を負担してこの駅舎を作りあげたという。
農林業の町としては、商品を運ぶ鉄道の存在が大切だった頃の気合いの入った駅だったのである。
だから今でも、駅の裏側には大きな製材所が稼働している。
白樺林のなかの白金温泉は美瑛駅の南東約二十キロ。
その途中には北海道の代表的な風景でもあるうねうねと続く丘陵の畑が広がっている。
丸時計は昭和二十九年(一九五四)に町民の寄付によって掲げられたものの二代目、といってもその年にやってきた洞爺丸台風で飛んでしまい、ずっとそのままになっていた。
一時かなり老朽化が進んだが、現在はすっかりリニューアルされて小ぎれいに変身した。
別棟のトイレも堂々たる石造りで、こちらのほうもまぐさ(窓など開口部まわりの補強)など石造りの構造がよくわかって面白い。
富良野線の開通は早く、明治三十二年(一八九九〉に旭川~美瑛間が開業、翌年には富良野まで開通し旭川と釧路を結ぶ釧路線となった。